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カルムイキア
(ニキタの一生)
 
四十六

ある朝、バラックの前で子供の泣き声が聞こえた。
2歳ぐらいのロシア人の女の子だった。バラックの集落を走り回ってみたが、 この子の親らしき者は見あたらなかった。恐らくここまで流れて来て、 食えなくなって子供を置いていったのだろう。よくあることだった。
ニキタはグダイに向かって「この子はあたしの子。仏陀にいつもお願いしていたの。 名前は前からリタと決めてた」と朝日に向かって掌を合わせ、捨て子を抱きかかえた。
グダイは「二人が食うだけでも精一杯なのに..」と愚痴をこぼしたが、リタを見ると反対は出来なくなった。 ニキタはリタに出ない乳をふくませ、頭を撫でた。乳首を吸われるごとに胸が熱くなり、目から涙が流れた。
あくる日からグダイは弓と矢を持って朝早くから出かけ、日が昇る頃には鳥獣を仕留めてくるようになった。 青白く頬も痩せこけて、目だけを大きく見開いているリタに栄養をつけてやらねばならなかった。 それに、弓の腕を鈍らせたくなかった。彼は「この弓でニキタを玩具にした男どもに復讐する」と 心に決めていた。
ニキタは鳥の羽毛をむしりながら、グダイには悪いと思いながら、 なぜかコーカサスの山賊兄弟をなつかしく思い出していた。彼らがグダイと同じ狩人だったからかもしれない。 熊のようなおどけた人懐っこさのせいか、山賊達には憎しみは湧かなかった。 その一方、郵便局長トタエフの薄気味悪い白さには、いつまでも身震いのするような嫌悪感が残った。 そんな男でも許すことが仏陀の心かもしれない。ニキタは、死んでしまった者にも仏陀の慈悲が持てない自分が 小さく卑しい人間に思えた。

短い春が過ぎて、すぐ夏がやって来た。
人民評議会は人も増え、各方面で活躍を始めた。表向きは共産党政治局の下請けのように見えたが、 実際は共産党に浸透し、人形使いのように党を動かしていた。 彼らの働きはまだ大きな効果を出すまでに至っていないが、人々に勇気と希望を与えるには充分だった。 少なくとも備蓄食糧の配給により一時的ではあるが餓死者は減ってきた。
しだいに昔の明るさが戻ってきた。
今まで闇の中でしか許されなかった私有物の売買が公に解禁され、羊肉、干し魚、野菜、果物が売られ、 衣類や日用品の市が立つようになった。
古い家具や食器が売りに出され、町々には人が湧いてきた。仏教寺院が復活し、 人々は食べ物を持ち寄り、孤児や老人たちに炊き出しを始めた。 この頃がカルムイキアの人口のピークであったかもしれない。
ただ、このような状況はモスクワの党中央の知るところとなり、 モスクワからエリスタの政治局あて再三の警告が送られてきた。
「カルムイキアの現状は反共分離主義者の政権簒奪状況にあると言わざるを得ない。 直ちに叛徒の摘発を実行すること。尚、党責任者は速やかに党中央に出頭されたい」 このような警告が何度かあったあと、党中央からウルチマートム(最後通牒)なるものが出された:
「貴政治局が官および軍の糧食等を中央政府に無断で放出したことは明白な違法行為である。 これらの物資は言うまでもなくソビエト連邦のものであり、貴政治局は国家財産を横領したかどで 責任追及の対象となる。政治局長スネコフ同志に対し直ちに党中央への出頭を命じる」という 文書が武装ミッションにより届けられた。
ミッションは同志スネコフとの会談を要求した。
一方、スネコフは逮捕、連行を怖れ、ミッションとの会談を渋った。 が、カラバクから「会談にはこちらから倍の人数を出せばよい。 それに会議室に入る者は全員武装解除させ、会議場の周囲はこちら側の人員でしっかり固めてはどうか」と 提案され、数名の共産党幹部とともに応対することになった。 スネコフの要請によりカラバクも同席することになった。
ミッション代表の「国家財産横領の追及」に対し、 局長のスネコフは憮然と座っているだけで何の反応も示さなかった。 過度の緊張で思考停止したのか。このままではまずい。
カラバクは手を上げてスネコフの了解を得たうえで立ち上がり「我が国の最優先課題は共産主義建設である。 その共産主義を建設する労働者階級を生かすことが全てに優先するのではないか。 我々は、飢餓線上にある労働者階級に備蓄食糧を分配することは共産党員の責務と信じる」と発言した。
これで、ようやく夢から現に立ち戻ったスネコフは重々しく立ち上がり 「もし国家財産を横領したというならそれはエリスタ政治局の判断で行なったことゆえ、 政治局全員をモスクワに引き立てればよかろう。しかし、我々は自らの意志ではモスクワに行かない。 ここで労働者と農民のためにやるべきことが山積みなのだ」とまくし立てた。
政治局員の一人としてこの会談に参加していたレナは、できれば最後までカラバクに発言し続けて欲しかった。 勿論、スネコフが正真正銘の政治局長である以上、発言を制止するわけには行かなかったが、 カラバクなら別の対応をしたはずだと思った。

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四十七

カラバク、スネコフの発言に対し党中央から派遣されたミッションは:
「党中央の了解なしに諸事を独断専行されたことには党紀上の問題がある」と主張。 「貴政治局自体が諸事を独断専行されたということなら、 その長たる同志スネコフにモスクワまで同道願いたい」と要求してきた。
スネコフは自陣の優勢なるを見て「さきほど申したように私自身を含めて 我々は自らの意志ではモスクワに行かない」と相手方の要求を突っぱねた。
ミッションは出来ればこの場で政治局長を引き立てたかったが、敵の陣中での無理押しはまずい。 無理押しすれば「こちらの身が危ない」と怖れた。
その結果、彼らは「貴方の返答は文書にて提出されたい。我々はそれをモスクワに持ち帰る。 後ほど党中央より回答が出されよう」と妥協した。
結局、ミッションはカルムイキア共産党政治局の回答書なるものを受け取り、 エリスタを立ち去っていった。

ソビエト全体が深刻な飢饉の中、今やカルムイキアでは人民評議会が先頭に立って食糧確保に当たった。 まさに暫定政府の様相を呈していた。
カルムイキアに流れ込んでくるロシア人が持ち込む宝飾品や骨董品、絵画を買取り、 イラン、トルコ経由で売りさばき、その利益で食料を買った。
カスピ海沿岸で獲れる蝶鮫の魚卵キャビアも小麦、とうもろこしなどとバーター(物々交換)した。 ソビエト政府から見れば国禁の「密輸」が行なわれていることになる。
すべては党中央に通報され、秘密警察(ЧKチェーカー、ロシア革命直後の1917年12月にレーニンにより 設立された、反革命分子の摘発、抹殺を目的とした組織である。1922年2月にГПУゲーペーウーに改名された) のオフィサーがカルムイキアに多数送り込まれたという噂が流れた。 彼らはチェキストと呼ばれ、ソ連国民の恐怖の的であった。
一方、夏の真っ盛りになったころ党中央からの警告は途絶えた。
人民評議会の面々は「中央のお偉いさん達も夏休みかな」と緊張をほぐした。
ただ、この頃からまたいやな噂が流れ出した。 ソ連の大軍が3方向からカルムイキアに攻め入る準備をしているという。
これに加えて、カスピ海上で輸送船がソ連警備艇の攻撃を受け、死傷者が出たとの連絡が入ってきた。 国全体に緊張が走った。
この時期、カルムイキア東岸から2〜3隻の小型船が船団を組み、カスピ海を渡って物品の交易を行っていた。 あのラシドもこれに係わっていた。
これはソ連にとっては摘発すべき「密輸」であり、食料のみならず、武器弾薬を輸入されたら後々面倒になる。 ソ連側はまずは海の出入り口を塞いでしまおうという作戦を立てた。 結果、数日間に数度カスピ海の広い海域で警備艇による輸送船襲撃が繰り返された。
このような状況下、カルムイキアの人民評議会と政治局の臨時合同会議(総会)が開かれた。 輸送船の襲撃だけならまだしも、強大な陸軍を持つソ連赤軍が3方向から攻め込んできたら、 カルムイキアは一溜まりもない。
逃げるか、戦うか、降伏するか、ほかに方法はないのか。議論が沸騰した。
政治局側は「和睦すべき」という者が多かった。評議会側は「それは降伏を意味する。 降伏して銃殺されるより、我々は戦うほうを選ぶ」と反対する。「戦えば皆殺しとなる。 船を仕立てて、全ての国民をカスピ海南岸のイランに亡命させよ」という者もいる。
「いや、輸送船団が攻撃を受けているということは、わが国は既に海上封鎖されているということだ。 今更、船で逃げるのは難しい」などと、意見はまとまらなかった。
カラバクは「逃げるも、戦うも、ましてや降伏など絶対出来ない。我々は間違ったことをしていない。 モスクワに出向き、党指導部と堂々と話し合うべきだ」と主張した。
皆が口々に賛成!反対!を叫びだした。反対者の中には「党中央に出向くなど自殺行為だ」 「誰がモスクワの猫に鈴をつけるのか」と叫ぶ者もいる。
それまで沈黙を守っていたスネコフが立ち上がり、「諸君、静粛に!これでは埒があかない。 政治局長として私スネコフが同志カラバクを評議会側代表に指名し、今から同志カラバクとの二者協議を行いたい。 総会はその間休会とし、明朝9時からの再開としたい」と提案し、了承された。
スネコフはカラバクを局長室に招き入れると「いきなりで済まんが、私を逃がしてくれ。 君は知らないかもしれないが、レナは私に『最後の最後、危なくなったら逃がしてあげる。餞別もあげる』と 言っていた。餞別など要らんが、私は船でイランあたりに脱出したい。交換条件というわけではないが、 遺書を書く。それには『政治局長としての責任を取って自決する。同志カラバクを党中央との交渉の局長代行に 指名する』と書く」と、カラバクの答えを待たず、手馴れた手つきで遺書を書き始めた。 書いて封をする。それを机の上に置き、同じ遺書をもう一つ作って自分のポケットに納めた。
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四十八

カラバクは「今が我々にとって最も大事な時だ。同志スネコフ、冷静に話し合おうじゃないか」と スネコフの手を取り、説得しようとするが「もう自分の限界を超えている。あとは好きなようにさせてくれ」と、 カラバクの手を振り切って局長室を出ていってしまった。
それから暫くして、スネコフの自宅で爆弾が破裂した。死体はばらばらになり、本人の識別は不可能だった。 そばに遺書が置かれていた。
「政治局長としての責任を取って自決する。党中央との交渉は同志カラバクに委任する。 念のため、これと同文を政治局長室に残した。スネコフ R.H. 」
彼の妻が死体と遺書を見て、手を震わせているとき、スネコフと美人秘書ラリサは今までに隠匿したお金と宝石を 馬の鞍に乗せ、カスピ海沿岸の港町への道を急いでいた。
爆死体は行き倒れになったロシア人男性のものだったが、疑う者はいなかった。
死体は損傷が激しく着衣でしか判断できなかったが、着衣は間違いなくスネコフのものだった。

カラバクはレナと一緒にエリスタ近郊の小さな農家を借りて住んでいる。
カラバクはスネコフ問題につき人民評議会の主だった人々と打ち合わせを行い、深夜帰宅した。 レナに「明朝の会議が終わったらモスクワに行く」と告げた。
レナは同行すると言い張ったが「今回は局長代行という公的な立場だから女房を連れて行くわけにはいかない。 約束する。必ず帰ってくる」と、譲らなかった。レナは女房ゆえと言われて同行を断念せざるを得なかった。
レナはその夜一睡もせず、カラバクにしがみついていた。共産党に入って神など無縁な生き方をしてきたが、 この夜だけは一晩中神にカラバクの無事を祈った。「神様、明日カラバクは出て行きます。お願いです。 どんなことでもします。どうか私のもとにカラバクを生きて帰らせてください」と 何度も十字を切った。

明くる朝、政治局と人民評議会の総会が開かれた。スネコフの死は既に知れ渡っていた。 総会ではスネコフの自宅から届けられた遺書が披露された。
遺言によりスネコフから正式の委任を受けたカラバクはモスクワ行きを決めた。
評議会の多くの者がカラバクに同行すると申し出たが、「同行者が多くいては交渉する前に戦になってしまう。 若い通信兵を二人連れて行く。あとは皆でどのような状況にも対応出来るよう準備していてほしい」と頼み、 バイラムとイルガルという若者を同行者に選んだ。替え馬に食糧を積み首都エリスタを発進した。

エリスタから西30kmの山地がロシアとの国境となっている。それほど高くない。 エリスタからなだらかな坂がつづき、峠の部分が国境だ。国境には何もなかった。
国境から更に西50km、山地を下ったところにレモントという要衝の地がある。
ここに来て3人は愕然とした。蟻の群れのように軍兵が真っ黒な塊になって動いていた。 ここだけで1万人はいる。
カラバクたちはこのあたりで一番高い山を目指した。高さ200m位の小山だが、 それでも最も高い山だった。
山の西側にあたるレモントの1万のほかに、その倍近く、2万弱の兵が山の南斜面、 カルモボという町から平野部を首都エリスタ目指して進軍し始めている。

噂ではソ連軍は3方からカルムイキアに侵入するということだったから、 仮にレモントの1万とカルモボの2万弱を合わせた3万弱が西方面軍とすれば、 南隣ダゲスタンからの南方面軍、ボルガ河を渡ってくる北方面軍を合わせれば、 全体で10万近くの大軍ということになる。
カラバクは西方面軍の合計を3万弱と見たが、もしこれに後続があれば数はさらに増える。 面積そのものはかなり広いが、人口から見れば取るに足らない小国のカルムイキアをソ連は 10万の兵で押し潰そうとしているのか。
せっかく経済も少しずつ上向きになり、人々が新しい国を創ろうと心を燃やしているのに、 党中央はこれを破壊して、もとの飢餓と強制の社会に引き戻そうというのか。
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