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カルムイキア
(ニキタの一生)
 
三十七

トタエフには手紙の最後のところが気に入った。
「本当に可愛い女だ。誰にも渡したくない。それにしても、 我が女房殿が早く死んでくれれば最高なのだが...」
通常なら、このような手紙は「不要不急」として郵送対象から刎ねられるのだが、 トタエフ局長は「検閲済み、郵送可」のスタンプを押した。

ニキタの手紙はそれから一ヵ月近く経ってバトミの海運公社に、更に二週間ほど公社内を転々とした後に、 カラバクの手に届いた。彼は公社では偽名で働いていたため、手紙は宛名該当者不在で廃棄される寸前だった。 大伯父の知り合いだった公社の事務員がそれに気づき内密にカラバクに手渡してくれた。幸運だった。

カラバクはニキタの手紙に夫グダイのことが一切書かれていないことを不審に思った。 それにニキタと近くの川で鱸を釣ったことなどない。すぐにこれが暗号文だと理解した。 昔、ニキタと暗号遊びをやった。各行の最初と最後の文字を拾う。カルムイキア語の文が出来る。 ロシア人には読めない。
((グダイが逮捕された。早く助けて。私はグデルメスの赤壁の家)) と読めた。
カラバクの頭に血がのぼった。両手で額を被い「まさか、まさか」を連発する。 目を血走らせ、レナに手紙の内容を説明して、すぐ飛び出そうとした。
レナはカラバクの形相を見て「私が落ちつかないと駄目だ」と思った。
カラバクにしがみつき「戦いは勝たねば意味ないわ。こういう入り組んだことは私に任せて。 先ず公社に行って、母が危篤ということでお休みを取ってらっしゃいな」とキスをする。
カラバクが海運公社から家に帰って来ると、出発の準備は出来ていた。
二人はアクシビリの騎馬隊に向かった。兵営に着くと、レナは見知りの衛兵に頼み、 アクシビリを呼び出し、彼に事情を説明し、カラバクへの協力を求めた。
アクシビリは騎馬隊全員を連れて出て来た。
皆が「カラバク隊長のためなら、喜んで応援する」と言う。その場は作戦会議に変わった。 カラバクは皆に「有難う。この恩は一生忘れない」と右手を胸に当て、深々と頭を下げた。
「水臭いぜ。俺達は仲間じゃないか。助け合うのは当たり前じゃないか」
「有難う。ところで俺は皆に提案したいのだが、グダイとニキタを助けるだけでなく、この際、 カルムイキアという小国に我々の拠点づくりも同時にやってみようと思うがどうだろう。 いよいよ攻めに出ようと思うが.. 」
「そうだ、最初の癌細胞づくりだ」、「騎馬隊の意気をみせてやろうじゃないか」、 「うまくいったら皆で写真を撮ろうぜ」などてんでに喜び勇んでいる。

作戦はカラバクの妹ニキタ救出とグダイ救出の同時進行と決まった。
レナは書類を偽造した。彼女が作ったのはグルジアの北隣りのダゲスタン共和国からの 「出動要請書」だった。
「銃を持った騎馬強盗団がダゲスタンからグルジアに入る可能性あり、国境方面に騎馬隊を派遣願う」と いうものだった。実際、こういう事件は、革命後の混乱が続いているグルジア近辺では 日常茶飯事のごとく起こっていた。
レナは書類作りが得意だった。サインを真似るなどは朝飯前だった。 スタンプの偽造は難しいが、それも難なくこなした。 カラバクはふうと溜め息をついて、レナの才能に舌をまいた。「凄い女を嫁にもらった」
「何よ、こんな可愛い女を凄い女だなんて、失礼しちゃうわ」愛の平手打ちが頬に入った。
その「出動要請書」はグルジアの首都トビリシの赤軍本部に持ち込まれだ。
すぐに赤軍本部から騎馬隊に指令書が出た。勿論、これは本物の指令書だった。
これを持って騎馬隊は発進した。
カラバクはニキタ救出のためにチェチェンのグデルメスに向かった。 赤ら顔の機械屋の副長ゾロキン以下5名を連れ、馬は替え馬も含め12頭。
重装備をつけない軽騎兵だった。
一方、レナは騎馬隊長のアクシビリ以下45名と共にカルムイキアの首都エリスタに向かった。 食糧、砲車、弾薬などの重装備をつけていた。
最初は同じ道を進んだが、グデルメスへの分かれ道でカラバク達は右に曲がった。
機械屋ゾロキン副長はアクシビリたちに「俺たちはグデルメスに寄り道して行くが、 早く切り上げてそちらに向かうから、俺たちの仕事を残しておいてくれよ」と手を振った。 カラバクたち6名はグデルメスに着き、赤壁の家を探した。
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三十八

赤壁はすぐ見つかった。壁は黒ずんだ赤だった。下はレストランになっている。
二人の屈強なドアマンが入口を固めている。会員制ということで中には入れない。
カラバクたちは一昼夜、建物の周囲と客の出入りを調べた。翌午前0時に作戦決行することにした。 全員憲兵の腕章をつける。
建物の外には二人の見張りがいる。まず彼らを捉え、縛り上げた。
カラバクは三名の兵を建物の周囲に残し「建物から出てくるものは全員逮捕すること。 反抗したり、逃亡する者があれば射殺してよい」と指示し、騎兵ボロキンとリマーゼを連れてドアをノックした。 ドアマンが相手の顔を確認するため重いドアを少し開けた。
その瞬間にカラバクは靴を挟み込み、ドアを押し広げた。ボロキンとリマーゼが飛び込み、 ドアマンに強烈な当て身を食らわせる。ドアマンは二人とも床に転がった。
カラバクは広間に入り、大声で「我々は憲兵隊だ。建物は包囲した。人身売買のかどで店主を逮捕する。 全員そのまま手を上げて出て来い。反抗するもの、逃亡するものはその場で射殺する」と叫んだ。 中にいた用心棒が拳銃を撃ちながら広間に出て来た。
広間の入口近くで小銃を構えていたボロキンとリマーゼが隙だらけの標的を狙い撃ちにした。 ドドーンという銃声が館内に響いた。
ニキタとともにいたトタエフは震えた。「おいニキタ、早く服を着ろ。俺はこんなところで捕まったら、 銃殺ものだ」と、あわてて裸体の上にズボンを履く。
ニキタは「もうどうでもいい」というような顔でのそりのそりと服を着る。
カラバクあてに手紙を出してから、もう二ヶ月近くになるが何の音沙汰もない。 当然時間はかかるものだとは思っていたが、一ヶ月が過ぎる頃から悲観的になってきた。
やはり駄目だったか思うとすべてが虚ろで、どうでもよくなった。
トタエフが上着もつけずズボンのままで窓をあけようとするのをぼんやり見ていた。
同じとき、ガウン姿の大男が二階から一階に降りて来た。
「お前ら誰の許可を受けてここに来ているのだ。この店の下はレストラン、上はサウナ風呂。 全て合法だ。わしは共産党の地区委員だ。失せろ!」
「我々は党中央の憲兵隊だ。抵抗するものは射殺すると言ったはずだ」カラバクがその男の頭を ほとんど無感動に撃ち抜いた。大男はドスンと音を立てて倒れた。
うえから男と女がぞろぞろと降りて来た。大抵が着乱れた格好をしていた。
ニキタは下のカラバクの声を聞いた。
「兄さん、兄さんだ。兄さんが私を助けに来てくれたんだ」
トタエフは咄嗟に状況を呑み込んだ。「憲兵隊は偽物だ!」
ニキタを睨んで「このやっろう。殺してやる」と口走ったが、いま荒れては取り返しのつかないことになる。 ニキタを殺(や)れば、偽憲兵に殺される。
とにかく逃げて、早く警察に知らせることだ。うまくやれば俺の手柄になる。
トタエフは必死で窓を開けたが、淫売屋の三階の窓から逃げれると思うのはどうかしている。 窓のつぎには必ず鉄格子が嵌められている。逃亡防止の鉄格子だ。
彼はこれを思い切り前後にゆすった。ありったけの馬鹿力で鉄格子をゆすった。
鉄格子は最後まで抵抗したが、馬鹿力に負けて外れた。
しかし勢い余ったトタエフは鉄格子を持ったまま下に落ちてしまった。
「ぎゃっ」と言ったまま、何も聞こえなくなった。
ニキタは一階に降りた。用心棒と客らしい男が血だらけになって転がっていた。
グダイがいない。兄に近づくが、ニキタの目にはカラバクの姿が入らないようだ。
「グダイは?」
「グダイはこの次だ。我々は今ちょっとグデルメスに寄り道しているところだ」
「何をしているの、こんな所に寄り道などしないで、早くグダイを助けて」というと、 もうカラバクには振り向きもせず、何か忘れ物でも探すように前に歩き出した。
そこには客と娼婦が別々にまとまっていた。ニキタは男達の方に目をやった。
「いない」とつぶやくと、死んだ用心棒に近づき、落ちた拳銃を拾い、二階に上って行った。 カラバクは心配になってニキタについて行く。
ニキタは蛸足のような迷路をどんどん進む。カラバクは少し道に迷った。
ニキタは暗い一角にぶつかると壁の二点を同時に押した。隠しドアとなっていた。
カラバクはニキタを見失ってしまった。
隠しドアの内側に旦那のグサロフがいた。金庫からお金を出しているところだった。 想像もつかないほどの大金だった。
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三十九

ニキタは店の親方グサロフに銃を向けた。
とたんにグサロフは相好を崩し「ほい。お前にこれだけやるから黙ってろ。 あとは悪いようにはしねえから」と言って大きなバッグの中から分厚い札束を取り出した。
ニキタは「有難う」と言って、銃を撃った。隠しドアの内側でドガーンと耳をつんざくような銃声が響いた。 ニキタはグサロフの胸を狙ったが、銃は上に跳ねあがり、グサロフの首を貫いた。 グサロフは呼吸が出来ず、すぐに顔を土気色に変えた。
「心の汚い奴は、死に顔も汚いね。折角だからお金は全部もらって行くよ」
グサロフはすうすうと空気を漏らしながら、なんとか声を絞り出した。 「これは、ぜんぶ俺のものだ..」と、同時に口から真っ赤な血を吐き、首をガックリ垂れてしまった。
金庫の中にはまだ多くのお金とダイヤなど宝飾品が残っていた。
ニキタはグサロフのバッグにそれら全てを詰め込んで、バッグを肩に、銃を片手に階下に降りてきた。 この間に淫売窟の男達は後ろ手に縛られ、一室に閉じ込められていた。
ニキタは重いバッグをカラバクに手渡した。カラバクは女の数でお金と宝飾品を当分すると、女全員に配った。 「これはお前達が稼いだ物だから受け取るがよい」
彼は娼婦たちに向かい「この二人の兵をここに残す。これから先どうするか、 二人とよく相談して決めてくれ」と、そばにいるボローキンとリマーゼを指差した。 勿論、二人には異存ない。にこにこしながら「わしらに任せてくれ」という。
カラバクは二人に「行く当てのない者はカルムイキアに連れて来ればよい。 その際は食料をしっかり積み込んで来てくれ。我々は出る。後は頼むぞ」と、 ほか3名の兵士とニキタを連れて「赤壁の家」を離れることにした。
そのとき、どこに隠れていたのかグサロフの女房が銃を構えて出て来た。
「私の財産を泥棒しようと言うのかえ。ただじゃ済まんよ」とカラバクに銃を向ける。
咄嗟にニキタは手にしたピストルでグサロフの女房を撃った。 一発、二発、三発と撃つ手を止めようとしなかった。
弾丸が撃ち込まれるごとにグサロフの女房の体は震動した。 ニキタは、死んでも痙攣を起こす体に自分自身を見ていた。心は男を拒絶しながら、体を痙攣させる自分自身を。 我慢ならず最後の一発まで死体を撃ち続けた。
知らぬ間に、あの魔法使いのような顔をしたマリア婆さんがニキタの傍に寄り添っていた。 ここを安全圏と見たようだ。しかし娼婦たちはマリアを縛り上げた。
「何をすんだよ。あたしゃ、いつもあんたらのお世話をしてあげたんじゃないか。 なんであたしを縛るのさ」と喚く。
「あんたが一番危ないのさ。ほれ、お金を恵んでやる。食べ物もあんたに一番多く残しておいてやる。 おしっこは垂れ流しになるけど、しばらく我慢しとくれ。 あんたを自由にしたら、男どもとすぐ『取引き』するんだろ。とにかくあんたが一番やばいんだよ」 女たちは自分の取り分から夫々がマリアに少しずつお金を恵んだ。
マリア婆さんはお金が増える毎にごくりごくりと喉を鳴らしていた。 哀れな老婆は縛られて男達と一緒に閉じ込められてしまった。
いずれ、街の誰かに発見されるだろう。

カラバクの一隊はカルムイキアに向けて出発し、深夜、人里離れたチェチェンの草原で野営した。 ニキタはカラバクにぽつりぽつりと事の顛末を話し始めた。
カラバクは暗い顔で聞いていたが「今回、カルムイキアのけりが着いたら、 グダイと一緒に山賊退治に行こう。俺はそいつらを絶対に許さん」という。
ニキタは、カラバクには言わなかったが、自分を誘拐した山賊兄弟をなぜか憎めなかった。

カラバクの隊は合計5人でエリスタに到着した。
レナはカラバクと会えて、自分の体の一部が帰ってきたような気がした。 もう絶対に離れたくないと思った。
カラバクのあとからついて来たニキタはどことなくうらぶれていたが、それは当然のことだろう。 レナは何も触れず、温かいスープをふるまった。
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