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ビーズ
(パミールのはてに)
 
三十三

皆、髭面で恐ろしそうな顔をしていたが、中味は注射さえも怖がる普通の人間だった。
麻酔注射を打ち、消毒して、切開して銃弾を抜いたり、縫合したり、骨折には添え木をしたり、 包帯を巻いたり、薬をつけたり、あれこれしているうちに3日間の逗留となった。 最後にと、薬品の説明をして、当座の必要量を渡すことにした。 「もしもっと必要なら、パセルカという私の村に人をよこしてくれ」
コマンジール・イズミールは晩餐を用意し、リナとビーズを上座に座らせた。
「ドクトル・ビーズ、ありがとう。この先、わしらと同行してほしいが、、と言ってもそれは無理だろう。 わしの部下でこれはと思う者が二人ほどいるから、それをお前さんたちのガード兼見習いにしてくれれば、とても有り難いが」
「喜んで引き受ける」
「よし、決まった。ヤムス、イゴル、お前たちはこれからドクトル・ビーズの弟子だ。さあ、乾杯だ。 ところで、ドクトル・ビーズ、あんたにはお礼をしたい。わしらに出来ることは何でもする。あんたの希望を言ってくれ」

ビーズはイズミールに「ここを立ち退いて欲しい」と申し出た。
「コマンジール、あなたはセレスコ村の空爆をご覧になりましたか」
「話は聞いたが、わし自身は見ていない」
「私は見た。一方的な殺戮だった。 あなたを守るために多くの村人が殺されたというのにあなた自身はそれを見ていなかったというのですか」
「わしはセレスコ村に一分隊を派遣して、支援物資を送りつけたが、、 そうか、多くの村人は投降せず、その分隊を庇って一方的に攻撃されたというのだな」
「その通りです」
「君はわしさえいなくなればロシア軍の空爆はなくなるいうのか」
「少なくとも空爆の理由はなくなります」
「そうか、よく分かった。ひとつ誤解しないで欲しいが、わしらは原理主義者タリバンでも、山賊でもない。 だが、ジハード(聖戦)は昔から受け継がれた我々の責務だ。その通信装置でビシケクの協力者と話ができるかな」
「すぐにも出来ます。但し、話をしたら、装置を捨て、急いでその場から離れねばなりませんが、、」
「そんなことはわしのほうがよう知っとるわい。ドクトル・ビーズ、お前さんは奥さんと一緒に今すぐここを離れてくれ。 通信装置はもらう。代わりにあんたらに護衛をつけてパセルカ村に送り届けよう。 出来るだけ多くの食料も持たせよう」 有無を言わせない勢いだった。 「ヤムス、イゴル、アシド、テンギス、急いで用意しろ!」
4人の若者は荷物をまとめると、ビーズとリナの前後を固めつつイズミールのもとを去っていった。

ビーズたちを見送ると、イズミールは一人で夜の荒野に出て、ビシケク(キルギスの首都)にいるマリオに回線を繋いだ。
「ドクトル・ビーズの友人のマリオだね。わしはロシア軍とタジク政府軍に追われているイズミールという者だ。 ビーズからこの衛星電話を貰い受けて君と話している。 わしは今、パミールの奥深い谷間にいる。マリオ、わしらの主張を電波を通じてロシアや世界に伝えてくれないか」
「あなたは本当にコマンジール・イズミールですか。 もしそうなら、そして、もしコマンジールの声をライブで流せるなら、それは大スクープ、願ってもない話です。 ただ、世界に流すには準備に30分ほどかかるので、一旦、電源を切って、場所を変えて、再度コンタクトしてほしいのですが」
「私が本物かどうかは当局の反応を見れば分かるはずだ。 周波数分析装置とかで声紋を照合してくれるよ。とにかく30分後に電話をかけなおす」
イズミールは電源を切って、あたりをぶらついた。月面のような荒地だった。 そしてちょうど30分後、再度電源を入れた。マリオはスタンバイOKを告げた。
「わしはロシア軍やタジク政府軍から指名手配を受けているコマンジール・イズミールだ。 タジク、ロシア、アメリカ、アフガンの人々、世界中の人々に話をしたい。
我がタジキスタンは旧ソ連15カ国の中で最貧国だ。ただでさえ国中が食うや食わずの極貧、 にも拘らず旧共産党の利権集団は国の財産を我が物にしている。 古い支配体制を飽くまで維持しようとしている。タジクは新しく生まれ変わらねばならない。 そのためには、まず利権集団を排し、旧体制を覆し、国を民主化せねばならない。 わしらはテロリストでも強盗でもない。タジクの人々の生活と権利を守るために戦っている。この世の不条理と戦っている。
ロシア軍と政府軍はわしをイスラム原理主義者、爆弾テログループの首領、麻薬王と称しているようだが、全くの謀略だ。 確かにわしはイスラム教徒だが、狂信者タリバンではない。
数日前、ロシア空軍はわしを狙ってセレスコ村を襲撃した。 そこにおったのは貧しい村民とわしが村に送り込んだ若者たちだった。 村民は支援物資を運んできた若者を庇って、投降勧告に応じず村に留まった。結果、村は空爆を受けて壊滅した。
その様子をドクトル・ビーズがビデオ撮影したから、遠からず画像がそちらに届くだろう。
おそらく、この通話を察知してそろそろロシアの攻撃ジェットがここを目指して飛んでくるだろう。お願いする。 ロシア、アメリカ、タリバンは直接にも間接にも我が国から手を引いてくれ。 今までどれだけの人が傷つき、飢え、泣いたか。あなたは想像できるか。戦争はもうこりごりだ」
マリオは「よく分った。コマンジール・イズミール、今すぐ、逃げてくれ。 きっと、すぐにもジェット機の攻撃が始まる。今すぐ、この通話を中断して電源を切ってくれ」と叫んだ。
「いや、続ける。皆、聞いてくれ。わしがこの世にいることで多くの村々が襲撃され、 多くの人々が殺されるのなら、わしはこの身を捨てて、殺戮を止めさせたい。 ロシアのハゲタカよ、わしが憎いなら、わしを殺せ。その代わり、無意味な人殺しは止めてくれ。
わしはわしのために犠牲になった多くの人々のために祈りたい。わしはこの地に殺しあいで泣く者のいない国をつくりたい。 子を泣かせたくない。孫を泣かせたくない。わしが死んでも、わしの意志を継いでくれる者が多く多く現れてくることを願う。 一日も早くタジクに平和がもたらされんことを祈る。皆に神のご加護を!」
轟音とともに2機のジェット戦闘機が縦列で飛来し、空対地ミサイルを撃ち込んだ。 イズミールと通信装置は粉微塵となり、音声もその時点で停止した。
マリオはマイクを持つ手で十字を切った。

春になって山が緑づいた頃、タジクの西と南で戦争が再開されたという噂が流れた。
イズミールの悲願に反して事態は悪いほうに動き出した。タジクの西は開けた平野部で、そこには首都ドシャンベがある。 ドシャンベで爆弾テロが同時に多発した。タジクの政府高官や政府軍、ロシア軍兵などが対象となった。
車に爆弾が仕掛けられたり、道路に遠隔操作の地雷が仕掛けられた。爆弾を抱いてカミカゼ特攻をする者もいた。 多くの人が集まるバザール(青空市場)でも時限爆弾が爆発した。
このような反社会的なテロ行為はテレビなどで大々的に報道された。
ばらばらになった被害者の体が何度もテレビ画面に流された。
それを待ち兼ねていたように、政府軍は大攻勢を開始した。戦車や装甲車を各方面に急行させ、反政府ゲリラの拠点を押さえていった。 ロシア軍も「CIS平和維持軍の基地防衛」を目的とした空爆を開始した。 ロシアの伝統的な戦法「攻撃こそ最大の防御」を実践した。
タジクは、南の大河・アムダリア川を挟んでアフガニスタンと対面する。 ロシア空軍は「アフガンからのタリバン侵略を防ぐため」として、最初のうちは南部アムダリア川方面に爆撃を集中させていたが、 その範囲は時を追うごとにタジク全土に広がっていった。
その結果、国外脱出をはかる難民の群れは日を追って増えていった。
去年より事態は先鋭化してきた。去年はロシア軍の空爆はこれほど激しくなかった。
一方、武装イスラムの闘いぶりも去年とは変わってきた。 パキスタン、アフガニスタン経由で入って来るハイテク兵器(携帯型スティンガー・ミサイルなど)の威力は凄まじく、 ロシア軍の攻撃ヘリはハイテク兵器で容赦なく撃ち落とされた。
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三十四

武装ゲリラの一隊が村にやって来た。一様に髭面で目つきが鋭かった。 しかし、どこかで血が繋がっているのか、村人は彼らを喜んで迎え入れ、進んで食べ物や飲み物を提供した。 髭面の兵士たちは広場にアメリカ製の小型ミサイルを並べ、どのように敵機を撃ち落すかを得意そうに説明し、図解さえした。 村人は初めて見るハイテク兵器に度肝を抜かれ、一目惚れした。
ビーズはこの様子を見て、「矛盾」という言葉を思い出した。 「楚の国の商人が矛と盾を売り歩いた。この矛はどんなものでも貫く。この盾はどんなものも防ぐと自慢した。 その両方をぶつけるとどうなるかと問われ、彼は答えることが出来なかった」そうだ。 これが矛盾の語源というが、ビーズは思った。「矛と盾は無限に連鎖反応を起こす、癌と同じだ、その先は滅亡しかない、 矛と盾はこの世から除去せねばならない、、」
気がつけば、ビーズは並べられた小型ミサイルのすぐそばに来ていた。
ミサイルの実物はと言えば、電子機器が満載だというが、その操作は簡単なコンピュータゲームを連想させた。 問題は、武装ゲリラがこのようにして純朴な村人の心を掻き立て、兵を募り、戦線を拡大させようとしていることだ。 ビーズは暗い気持ちで村人の浮かれ姿を眺めていた。リナにはそれが痛いほど分かり辛かった。

因みに「スティンガー」とは英語で「昆虫の毒針、蛇の毒牙」という意味。
まさに小型ながら毒針となって、大型の航空機を確実に捉え、撃墜する。
当時多用されたFIM-92 スティンガーミサイルの誘導には赤外線・紫外線目標捜索装置(シーカー)が用いられている。 このシーカーは赤外線画像をデジタル画像として処理するため、 フレア(航空機がミサイルの追尾から逃れるため空中に放出する欺瞞装置、おとり)に対しての対抗性能が極めて高い。

ミサイルには安全装置がついており、それを解除するにはコードを入れる必要がある。 つまり、ゲリラの隊員以外には操作が出来ない仕組みになっていた。 黒髭の男がリナに「お前に内緒でコードを教えようか」とモーションをかけてきたが、リナは「結構」と一蹴した。
リナは夕食を済ますとしっかり戸締りをして、「今晩は早く寝ましょうね」とビーズをベッドに誘った。
彼女はビーズに髭面たちの粘っこい目からわが身を守って欲しかった。
武装ゲリラたちは夜更けまで広場で村人とともに男ダンスや手拍子で宴会を開いていたが、 朝早く村から立ち去った。数人の村人も彼らとともに消えていた。 リナは髭面たちがいなくなってほっとしたが、消えた村人を思うと複雑な気持ちだった。

アフガンはタジクの南側の国で、タジクと1300kmの国境で接している。
前述の如く、1979年からのアフガン戦争ではソ連は親ソ政権を護るためにアフガンに大軍を送り込んだ。 ところが、アメリカ、パキスタンなどが後押しする反政府ゲリラの抵抗に遭い、 1989年、アフガンから敗退した。このことがソビエト社会主義体制を崩壊させる引き金ともなった。
タジクの内戦も「ゲリラ戦」かつ「大国の介入や支援」という点でソ連=アフガン戦争に通ずるものがある。 タジクでもパキスタン、アフガン経由で入ってくるアメリカ製の携帯型兵器は航空戦力を持たない武装ゲリラにとって最強の武器となった。 ロシア軍側の撃墜された攻撃ヘリ、航空機の殆んどはスティンガー・ミサイルによるものだった。

タジク反政府ゲリラの執拗な反撃に対抗してロシア軍は空爆域をさらに拡大し、ナパーム弾も使い始めた。 ロシア軍は難民の群れも恐れた。ロシア兵には難民とゲリラの区別がつかない。 ロシア空軍機は時として、自衛のため難民の群れにナパーム弾を落とす。 一瞬に広がるオレンジ色の炎は全てを焼き尽くす。生存者はゼロに近く、幸いにして生存した者も火傷に苦しむ。

往診からの帰路、ビーズとリナは強盗や軍隊を避けて山道を進んだ。
最近は政府軍と強盗の見分けが付かないほど状況が混乱して来た。政府軍の名を借りる強盗もいれば、強盗を働く政府軍の兵もいる。 難民も自衛のため武器を持つ。
難民が武器を持つがゆえに、攻撃側は難民に対する殺戮や略奪を「武装テロリストとの戦い」として正当化する。 殺しあいが際限なく続く。

ビーズとリナの村・パセルカはあと数キロの距離にあった。 山中から見下ろす村の家々は白い壁が夕陽に映えていた。夕餉の煙がたなびき、そこはのどかな春の夕暮れだった。
三機の大型の飛行機がビーズとリナの頭上を飛び越え、村を襲った。
一斉にナパーム弾をばら撒いた。村のある谷間を下から上にオレンジの炎が走った。
もの凄い勢いで、巨大な赤蛇のように地をなめて行く。
ナパームの炎がこんなに大規模なものとは想像もつかなかった。
目の前ですべてが焼き尽くされた。山の斜面のテント村も焼かれた。
悲鳴は聞こえず、轟音だけが谷間に響いた。
飛行機は谷を焼き尽くすと、そ知らぬ顔をして、その場から飛び去ってしまった。

リナは力を失って、ビーズにもたれ掛かった。ビーズはリナを抱きとめた。
リナの柔らかい肌に鳥毛が立ち、体が小刻みに震えている。
彼女は泣いた。ビーズはリナを抱いたまま、しばらく茫然としていた。
村は燃えていた。
ビーズは患者のことが気になって、山の斜面につくったビーズ病院に急いだ。
テントは焼け、患者も医者見習いも黒こげになっていた。
敵は傷病患者のテント村も見逃さなかった。
医者になりたいと一生懸命勉強したシャリー、アメルも死んでいた。
ダリサ、レイラの死骸は黒こげになり、抱き上げるとカサカサと乾いた音を立てた。
「これが、元気だったあいつらの遺骸か。こんなにボロボロになってしまって」と思うとあまりにも可哀想で、涙が止まらなかった。
ロシアやタリバンは勿論のこと、戦争を煽ったアメリカにも強い憤りを感じた。
こいつらは人を殺してまで、他人の土地を支配したいのか。弱い者は幾ら殺しても構わないのか。 奴らは自分や自分の家族が同じ目に遭わされても仕方ないと諦めるのか。
畜生、原爆でも作ってモスクワとワシントンに仕掛けてやる。 それが出来なければ、政府の高官たちをミサイルで吹っ飛ばしてやる。それぐらい俺にだって出来る。
ビーズの心は憎しみに燃えた。仕返ししか考えられなかった。
「皆死んでしまった。もう我慢の限界だ。死ぬ覚悟でロシアにもアメリカにも目に物を見せてやる。 俺らだってもう少し早く帰っていたら、今ごろは真っ黒こげだった」
「ビーズ、やめて。あなたが仕返しをしたら、相手の遺族はまた仕返しをするわ。
それより、生きて訴えましょう。戦争をしてはならないって。人を殺してはいけないって。 この姿をすべて写真とビデオに撮ってちょうだい。マリオに送るのよ。それから、ひとりでも多くの人を救いましょうよ。 ほら、あなた、斜面に洞穴を掘って、そこにお薬を入れてるでしょう。 きっと無事よ。あれを使って、火傷や怪我をした人達を助けましょう。 こんなことを言ったら、あなた笑うかもしれないけど、あなたと私が生き残ったのは神さまの思し召しだと思うの。人を救いなさいって」
「君は口惜しくないのか。みんな殺されて、コゲ屑のようになっているのに」
「くやしい。でも仕返しなど、自分には出来ない」
「ずれるなあ。リナ、おぼこ過ぎるよ。それはともかく、洞穴の様子を見てみようか」
彼は「今度こそはリナのペースに乗せられるものか」と思いながらも、洞穴の様子が気にかかった。 息は切れるが必死で走り、洞穴に着いた。
入り口付近はやはり焼け焦げていた。油の焦げた匂いを気にしながら、二人は中に入った。 奥の倉庫は無事だった。食料も医薬品もそのままだった。
ビーズは「もし病人をこの中に導き入れる暇があったら、多くを救うことが出来たのに」と口惜しがった。 嫌がっても、患者は洞穴の中に入れておくべきだったと後悔した。

リナは袋に食品と医薬品を詰め込み「はい、救急袋、これはあなたが持って」と二つの袋をビーズに差し出し、 自分用にも重い袋を二つ作って「さあ、村に降りましょう。爆弾から遠いところでは人は生きているはずよ。 早く行ってあげなくちゃ」とビーズを急かす。
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三十五

二人は「救急袋」を背に再び走って村に降りた。
殆どが焼け焦げ、焼け爛れて死んでいた。肉の焼けた匂い。
だが、生きている者もいた。ナパームの通り筋から離れたところにいた者だろう。
苦しんでいる者を見ると、本能的、反射的に医者の職業意識が戻って来た。
すぐ手当てをしなければならない。まず、動ける者を集めることにした。
動ける者に頼んで、毛布や絨毯を担架にして、動けない者を安全な場所に移した。
担架と言っても、実際はボロ毛布や絨毯だけだから、地橇のように引き摺っていった。
安全な場所に到着すると、まずきれいな水で患部を洗浄し、冷やす。 しかし、火傷のひどい者は毛布や襤褸切れで包んで、体温を下げさせないようにしなければならない。
リナが袋に詰め込んだ薬剤は消毒薬、鎮痛・消炎剤、抗菌剤、外科手術道具、包帯などだった。
ビーズは「リナはなかなか気転の利く女房だ」と感心した。
彼は必死で治療をしているうちに自分の中で仕返しの心が殆どなくなっているのに気付いた。
「命をひとつでも救うことが私の生きる証だ」と。心が温かいもので充たされた。
なぜか時間の感覚がなくなっていた。「ビーズ、私はもう往くけど、頑張ってね。リナを大切にしてね」アンナの声が聞こえたような気がした。 だが、暫くして気がつけば血みどろの現実に戻っていた。
真剣な顔で患者に包帯を巻いているリナを見ながら、ビーズはにこっと微笑んだ。
リナはビーズのにこにこ顔を見ながら「ビーズも角が取れて本当に円満になったわ。 いつも患者に間の抜けた冗談ばかり言ってるけど、あれでビーズは『ふれあい療法』だと言うんだから、可愛いな。 でも、立派だわ」と思った。「これからビーズの子供をたくさん産んで、みんなでしっかり頑張ってこの国を建てなおさなきゃね。 ここしばらくは大変だけど、楽しみだわ。できれば、私は山羊を飼いたい。ビーズにおいしいチーズを作ってあげたいな」と。

ビーズは戦災の凄まじさ、人々の悲痛を克明に記録した画像と反戦アピールをソグドの末裔に託してマリオに送り、 医薬品、食糧、それに医師団の派遣も要請した。
数日後、医師団以外は全て叶えられた。残念ながら戦争危険地域への医師団派遣は不可だった。 「仕方がない。自分で人を集め、人を育てていこう。そして、平和のためのアピールを続けよう」
ビーズは寝る間も惜しんで活動を続けた。

1997年6月、タジクの内戦は国際社会の仲介による民族和解政権の樹立により一応の集結を迎えた。 これで空爆の恐怖もようやく薄らいだ。
時の経過とともにビーズは現地語にも習熟し、若者の医学指導にも熱を入れた。 リナを伴い、医薬品を馬の背に乗せてどこまでも往診に出るようになった。 往診先は一様に貧しく、まさに「食うや食わず」の状態だった。二人は人々の自立を願った。 そして、行く先々で「銃を鍬に換え、大地に戻れ」を訴えた。人々は荒地に水を引き、耕し、鶏や羊を飼い始めた。 新たに子供も生まれ、村がだんだんと村らしくなってきた。

それから更に数年が経った。2001年9月11日、アメリカで同時多発テロが起こった。これを境に世の中は大きく変わった。
アメリカはアフガンを取り巻く中央アジアの小国群に空軍を派遣し、嘗ての盟友タリバン、アルカイダを叩くと同時に、 このあたりの政治地図を大きく塗り変えてしまった。
中央アジアの小国群はイスラム原理主義の浸透に手を焼いていたので、アメリカの軍事介入を歓迎した。
ロシアは中央アジアでの覇権を一時、アメリカに預けた。当時のアメリカの勢いには抗い難かった。 同時にロシアはアメリカの動きに便乗した。この機会をとらえ、チェチェン共和国の独立運動に対する攻撃を強化した。 アメリカ、ロシアそれぞれがイスラム過激派に対する戦いとして、互いが互いの軍事行動に口を挟まないという暗黙の了解を成立させた。
こういう流れの中、タジクの反政府ゲリラは国の主要部ではロシア軍と政府軍に押さえ込まれ、 東部の高原地帯に身を潜めることになった。が、火種は消えたわけではない。
2010年9月21日付けの朝日新聞記事によれば、「中央アジア・タジキスタン中部のラシト地区で19日、 国防省の軍兵士の車列が武装集団の襲撃を受け、兵士ら23人が死亡した。 国防省は、襲撃には1990年代からの反政府勢力の元野戦司令官が関与していると指摘し、 地域の不安定化を狙ったテロ行為だと主張した。武装集団には隣接するアフガニスタンのほか、 パキスタンやロシア南部チェチェン共和国からの雇い兵がいるとされる」となっている。
因みに、これは同紙モスクワ支局からの記事、つまりロシア政府筋の発信記事である。

ビーズのところには引きも切らず患者たちがやって来る。
往診にも行く。パミールの空は海のように広い。何もあの頃と変わっていない。
ただ、ひとつ、リナとの間に二人のかわいい息子が出来たことを除けば。

2011年1月 完

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P/S

本編を思い立って(素描してから)既に10年が経った。
その後、2001年9月11日のアメリカ同時多発テロ、そしてアフガン戦争。 タリバンやアルカイダが報道を賑わし、一時タジキスタンを含む中央アジアの国々もクローズアップされた。
一方、それに引き続き起こったイラク戦争により、世界の目は中東に移っていった。
さらに、リストラの嵐、デフレ不況がそれに続いた。最近ではリーマンショック後の世界経済恐慌でタジキスタンなどという 国名は誰ももう覚えていないかもしれない。
だが、この世の片隅にはビーズのように大国の思惑や動きに左右されず、 弱く貧しい人々を少しでも救おうとしている者がいることを心の片隅に置いてもらえば、 これほど嬉しいことはない。
(人形)
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