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チェチェン挽歌
十六
食事をしたあとで気持ちがすこし和んできたので、ばあさんの話を長々と物語った。
チムールはこちらの話しを纏めて「要するに、ミスターアンドは行きずりのタマラ・ザガエバに『この人形をララに手渡してくれ』と 頼まれたということか」と問う。
小生、「タマラ・ザガエバかどうか知らない。ララ・ザガエバという人のおばあさんだ」
チムールは微笑みを浮かべ、「遠からずララに引き会わせる。もうあなたは捕虜ではない」という。
小生、「それは有り難いが、ひとつのお願いとひとつの質問に答えて欲しい。お願いは、捕虜でないなら早く返して欲しい。 質問は、なぜわたしを捕らえたのか、だ」
チムール、「いずれご希望に沿えると思う。質問に答える前にまず理解してほしいのは、我々がロシア軍とも、 チェチェンのバンジット(ギャング)とも闘っているということだ。 チェチェンには事実、略奪、強盗、誘拐を生業(なりわい)とするバンジットも多くいる。 空腹と憎しみが普通のどこでもいるような人間をバンジットに仕立てた。
例えば、分かりやすく言えば、大地震が起こると良識ある市民がこぞって略奪に走るようになる。 生きるためには他にどうしようもないからだ。
しかし、このような者が国の独立の為に自分の命を捨てると思うか。必要以上の私利私欲に走るものは愛国者たり得ない。 外敵よりもっと恐ろしい内なる敵となる。
生活を破壊され、親兄弟を殺されたものの多くは私利私欲のためではなく、家族のため、民族独立のためにロシアに反抗している。
ロシア軍はそういう人間を無差別にバンジットと呼び、根絶やしにしようとしている。 我々に残された道は降伏して羊になるか、狼として最後まで抵抗し続けるかだ。 ただ、狼があくまで狼を通そうとすれば(本物の狼と同じように)絶滅してしまう。
意地だけでは生き残れない。生き残るためには狐にもならねばならない。 貴方を捕らえたのは、狐となってここからロシアの人食い熊を追い出すためだ、、」
この時、チムールのポケットで携帯電話のようなものがピッピッと鳴った。
「ミスターアンド、今は戦いの最中だから、暫く我々と行動をともにしていただくことになる。 私自身は急用でここを離れる」と話を打ち切り、急いで出て行った。 小生、チムールが出て行ったため、また心細くなったが、ゲリラの一人に「こちらへ」と案内され、 藪の中の深い蛸壺の中に押し込まれた。水と食糧らしき物が置いてあった。
ロシア軍の爆撃が始まった。ジェット爆撃機の凄さは想像を超えた。
とにかくジェット機が通り過ぎたあとにその轟音が強震とともにドカーンと聞こえてくる。 これはドプラー効果によるもので爆弾の音ではない。音の速さがジェット機の速さに追いつかず、 後でまとまって地上に落ちてくるからドカーンと聞こえる。ジェット爆撃機、これは怪物だ。 こんな怪物は捕らえようもないし、狙われたら逃げようもない。 チェチェン軍は空っぽのトラックをあたかも武器弾薬を積んだ軍用車のように見せかけたり、 張子の大砲、偽の兵舎(アジト)などで敵の目を欺く。
ゲリラ本体はモグラとなって、敵の攻撃を穴のなかでじっとやり過ごす。
 
ロシアの攻撃機編隊は司令部に「目標は粉砕した」と報告する。
あくる日、歩兵が戦車と共にやってくる。チェチェン軍は相変わらずモグラとなってこれをやり過ごす。 昼間は穴の中で半眼のまま「休息」を取る。よほどの精神力がないとモグラは出来ない。
夜が来ると全身に力が満ちてくる。昼間、我慢に我慢を重ねた闘志が体のすみずみにしみ渡る。 夜行性の猛禽が獲物を求めるように。殆ど瞬時の闘いだ。
ロシア軍が反撃態勢に入る頃にはチェチェン兵は遠くに退いている。 不揃いのロシア製兵器、大抵がロシア軍からの分捕り品だという。 それにしても、素人が見ても武器弾薬が不足していることははっきりしている。
なかには家内手工業製品としか思えない直線性を拒否した(歪みだらけの)武器を担いでいるものもいる。 小生、彼らが不意打ちのようなゲリラ戦を仕掛ける理由が理解できた。まともにぶつかれば一方的に屠殺されてしまう。
結局、ロシア軍は影法師を追って(ベトナム戦争時のアメリカ軍のように)反撃の矛先を周辺の部落、 農家、森林に向けることになる。戦車は無抵抗の村落に容赦なく砲弾をぶち込む。また新たな悲劇と憎悪が生まれる。
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十七
チムールがやって来た。あれから4〜5日しか経っていないが随分長いあいだ別れていたような気がする。
彼は真剣な顔で小生の眼を見つめ「まず、タマラ・ザガエバを最期まで面倒見てくれたこと、心から感謝する。 貴方はご存じないかもしれないが、彼女はチェチェンの伝説的英雄クジヤル・ザガエフの妻女だ。 その孫娘のララが貴方に会いたがっているので、まもなくお引き合わせしよう」
小生、魔法使いのばあさんが「孫娘は自分に似ている」と言っていたのを思い出して、吹き出しそうになった。 どうしても鈎鼻の軍鶏(しゃも)を連想してしまう。
チムールはもちろん、そんなことは予想だにしないだろう。じっと小生を見つめたまま「さて、本題に入ろうか。 まず、貴方のご質問に回答する。そのうえでお願いもある。もうお分かりと思うが、 貴方を拉致した理由はパイプラインの建設妨害にお力を借りたいということだ。 脅迫とか、買収というやり方もあるが、最も効果があるのは真実を訴えることだ。
私はグロズヌイ石油工科大を出ているので油井掘削のことはある程度わかる。 ゲリラの中には私のような者や医者や法律家もいる。 皆、髭を剃る暇がなくて髭だらけで、泥まみれで、汗臭い襤褸(ぼろ)をまとっている姿は山賊そのものだ。
ところで、掘削局次長のビクトルは現場に忍び込ませた我々の同志だ。
ビクトルにドリルパイプを破断させた。ドリルビット(ドリルの先端部)がジャミング(土中での噛みつき)を 起こしそうになった時、トルク(回転力)を無理に上げればドリルパイプは破断する。 勿論、故意にトルクを上げるのは容易ではない。
過負荷時の緊急停止装置など幾つかの保護システムをクリアして、記録データも書き換えねばならない。 このような操作は重ねて出来るものではない。
そこで、一度だけということでビクトルにドリルパイプを破断させて、掘削局から貴社あてクレームをつけさせた。 その結果、貴方を当地にお招きしたというわけだ。これから、深度、傾斜角、川底の土質などの掘削条件をよく見ていただいて、 ぎりぎりで切れるジョイント(パイプの継ぎ手)のスペック(購入仕様書)を作っていただきたい。
ペトロスは近々ドリルパイプの大量オーダーを出す。
貴方は最安値でこれを必ず受注願いたい。不足分は当方が補う。 ただ、ミスターアンド、どんなに繕っても、結局はあなたご自身が責任を問われることになる。
それを理解したうえで決断してほしい。少し時間を置くから、よく考えて欲しい。
もしノー(否)でも、神かけて、というよりクジヤル・ザガエフにかけて、ゆえなき仕打ちなど絶対しない。無事に解放する。
もしOKなら、契約書を二枚作り、ペトロスは貴方に安値の金額で支払う。 当方は第三国にペトロスの偽口座を設けて、そこから貴社あて不足分の送金を行なう。 要するに貴方はペトロスに対しては安値契約、貴本社に対しては高値契約を作ることになる」という。
色々な思いが心を過(よ)ぎった。長らくロシアともつきあったが、これでお仕舞いになるか。 ここで一生一度の大事をなして、日本に帰ったらスーパーのガードマンでもやるか。それも良かろう。小生了解した。
暫しあってララが入って来た。魔法使いとか、軍鶏とかではない。ばあさんが言ったように、ペルシャの姫君のようだ。 燃えるような黒い眼。野生の雌鹿のような均整の取れた美しさ。小生、20歳も若ければ心を奪われただろう。
彼女はチムールから詳しい事情を聞いていたようだ。「おばあさんのメモは読みました。お世話になりました。 おばあさんの灰はいつかきっとボルガを通ってイスタンブールまで流れ着くでしょうね」と言いつつ、、 あのマトリョシカを小刀で二つに切り分けてしまった。中からばらばらと半透明のガラス玉のような小石が零れ落ちた。
これはダイヤの原石だという。かなりの量だ。ララは無言で原石を一握りして、こちらに差し出してきた。 小生、正直のところダイヤの原石などには興味はなかった。
ララが着けている琥珀のペンダントを所望した。そのほうがはるかに値打ちがありそうに見えた。
ララは小生のモスクワ帰還にタイミングを合わせモスクワに移動し、小生とチムールの間に連絡にあたるという。 うわの空で聞いていたが、ララがモスクワで小生との接触を持つという。神の思し召しか、、
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十八
その日の夕食の時だった。この数日間、ずっと疑問に思っていたことをチムールに尋ねてみた。 「なぜヘリコプターを攻撃したのか。私が死んでしまえば貴方の目論見も水の泡ではなかったのか」と。
チムールは小生の眼をじっと見詰めて「潤滑油系統は故障などしていなかった。ヘリはこちらの指示する位置に着地した。 これで分かったかな」という。そう言えば、ヘリのパイロットは知らぬ間に消えていた。
いよいよ陰謀の実行。
先日一緒に捕まったロシア兵のうち若い二名と同じ地下室に放り込まれることになったが、 放り込まれる前に小生、チェチェン兵に一発どっつかれた。
二人のロシア兵は同情の目で小生を迎え入れてくれた。小生がこれからの行動予定を色々思案して、 うつむいているのをこちらに都合よく誤解してくれた。「ミスターアンド、きっと助かるから。大丈夫だから」と 小生を励ましつつ、声を震わせていた。
乾パンをそっとポケットに差し込んでくれた。 普通のロシア人はこんなにいい奴ばかりなのに、どうしてロシアという国は、、なんとも分からない。
暫くして地下室の蓋があいた。掘削局のビクトルが放り込まれてきた。目のうえと口元に青あざをこしらえている。
ビクトルは小生を見て、ウインクをしながら「我々を拉致したのは、捕虜交換が目的のようだ。 やはり目玉は外人のミスターアンドのようだな」という。
これは嘘ではなかった。事実、チェチェンゲリラは遺棄されたロシア軍の通信機を使って、捕虜交換を要求していた。 ただ、ゲリラ側の要求はあまりにも一方的で、ロシア軍は暫し回答を見合わせていた。 要求内容がどすんと下がるのを待っていた。
その一方で、今から数日前、ロシア軍は戦死したチェチェンゲリラのポケットから略式暗号表を見つけていた。 地名とか、数字とか、基本的な事項を別名で呼ぶ暗号で、大体狭い地域で数日かぎりのものとして使われている。
この暗号でゲリラは既に数回交信を行なっている。ロシアの戦車部隊がA地点からB地点に移動したのを目撃したとか、 現時点での武器弾薬の残量はどれほどか、などだった。
今朝、この略式暗号で捕虜4名を移動させるとの交信が傍受された。ロシア軍は色めきたった。 至急、救出部隊が組まれた。うまく行けば捕虜交換は必要なくなる。
捕虜の移動目的地とされる地点にロシア軍の救出部隊が近づくと、ゲリラ側は猛烈に撃ってきた。 が、戦車隊が姿を現すと、彼らはあっという間に退いてしまった。
捕虜救出作戦はこの地域でしらみ潰しに行なわれた。藪の中、農家の納屋、ごみ溜めの下、廃屋、一軒一軒、徹底的に。
汚れて悪臭のただよう家畜小屋にカモフラージュを施した地下室(蛸壺)が発見され、4名の捕虜は無事救出された。 チムールの偽装工作は成功した。
捕虜は即座にロシア軍駐屯地に移送され、コーヒーと暖かい食事のあと尋問を受け、兵営での休息、尋問...
尋問官からこのあとどうするかと問われ、「これ以上こんな恐ろしい所にはいたくない。早くモスクワに帰りたい」 と答えた。
尋問官、「あなたの気持ちはよく分かるが、同行したマハチカラ掘削局のビクトルからあなたに掘削現場に入って欲しいとの要請が出ている。 クレーム処理がうまく出来ないと彼の立場は危うくなる。下手をすれば刑務所にぶち込まれると悩んでいる。 あなたの身の安全は保証する。考え直してもらえないか」という。
小生、「ビクトルのためなら仕方がない」と了解した。
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