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武藤洋二先生著『天職の運命』紹介文   萱原健一(大45)

武藤洋二著『天職の運命』  『天職の運命』を読む前と読んだ後とでは、世界が変わって見える。そこには、天災にひとしいほどの圧力で人間を押し潰そうとする権力が登場し、そこで生きた人たちの生きざまが描かれている。
 生き方は十人十色だ。権力に進んで烏合した人、加害者にも被害者にもならぬよう知力をつくした人、時代の制約から超越して生きた人。人間の生き方を紋切り型に区分するのではなく、その人の置かれた時代状況や個々人の事情を丹念に調査し、正確に記述していく。巻末の索引には286人の人名が並ぶ。無駄な登場人物はひとりもいない。

 著者の武藤洋二先生は、この大著の完成を急がなかった。スターリン時代をあつかった前著『詩の運命』は1989年11月発行である。それから21年以上たつが、『天職の運命』には、前著発行以前の研究・調査もふくまれる。本書の序章「大阪から」では、ニコライ・ネフスキーを「公刊をいそぐ出世主義者ではない」「常に拡大と深化の過程に身を置く」と紹介し、「書きあげたものに熟成させる時間もあたえず、誤りを見つける間もおかず、(中略)商品を一時も早く現金化しようとあせる商売人」ではない、と説明している。ネフスキーの生き方は、著者・武藤洋二のそれにそっくり当てはまる。大阪外大教授時代は自身の著書公刊よりも教え子の教育を、大学退官後は妻の介護を優先しながら、その間も、書いた論文を精査し、新しい証言をほり起こし、言葉を削り磨いてきた。公刊が具体化し、執筆・校閲も大詰めをむかえた今年の元日も朝から仕事していた。その集大成が『天職の運命』である。

  『天職の運命』の副題は「スターリンの夜を生きた芸術家たち」である。 本書に登場する、スターリン時代のソ連に生きた文学者・芸術家・政治家たちは多数多彩だ。 その質と量は、同じ分野を専門とする研究者にとって驚異的であろう。
 しかし、専門家でない読者にとっても驚くべきは、著者の視界の広さだ。 キュスチーヌ侯爵、モーツァルト、ピカソ……。 法隆寺の百済観音、古代ギリシヤ、新旧約の聖書、ダンテの『神曲』……。 著者の知的関心は古今東西にひろがる。 それらはけっして辞書的意味の枕詞として使われているのではなく、 それ自体に関心をもって勉強してきたことが、短い文章からも読みとれる。
 大きな人類史のなかでスターリン時代の人間を捉えるから、 登場人物を歴史的な英雄や例外としては扱わない。 この広い視野と冷静な観察眼とがあるからこそ、 逆に、稀有な生き方をした登場人物たちの特異性が浮かび上がる。
 
 著者は詩人である。その文は独特のリズムをもち、言葉の選択は意表をつく。 「気高いあっぱれな酔っぱらいである」の一文を読んだ時、 その内容の重々しさとは裏腹に思わずニンマリとしてしまった。 読み飛ばしてもいい言葉は一文字もない。
一見、ルポタージュ・記録文学的な手法をとりながら、読後感はそれとはまったく違う。 『天職の運命』は交響曲的な構成がとられている。だから一気に読むにかぎる。
 
 スターリン時代は、どうやら他人事ではなさそうだ。 自分も餓鬼に陥ってしまうかもしれない恐ろしい生活条件を報告しながら、 そうはならなかった、目指したい生きかたを伝えてくれる。 だから、本書を読みきった者は、真っ当に生きていく勇気をもらえる。 読後、世界が変わって見えるというのは、そういう意味である。
 
 『天職の運命』には、同じ著者の詩集『地球樹の上で』のヒントがいたるところに隠されている。あわせて読むことをお薦めします。
 

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